階下に降りると人影があった。店の座敷に横になったその人は、深く眠っているらしい。なにもお店で眠ることはないだろうに、とみどりはほんの少しあきれて、しかしすぐさま考え直した。きっと、ひどく疲れていたのだ。うっかりお店で眠るほどに。
「まあったく、困っちゃいますよねえ」
 苦笑しながらのれんをくぐって現れたのは、この家の次女である日菜佳だった。この子は、愛嬌のある笑顔がとても可愛らしいとみどりは思う。
「あら日菜佳ちゃん、外に出てたの」
「いやあ、まあ、ヒビキさんをこのままここにほっぽっといてお店をやるのもどうかと思いまして…臨時休業の貼り紙をですね」
 と、途中まで言ったところで、ええとみどりさんは休憩ですかと思い出したように訪ねる。曖昧にみどりが笑うと、あわてて店の奥へと消えた。
「わ、ちょっ、とまってくださいね、今お茶出しますから!」
 彼女がひとりで店先を切り盛りしているということは、香須実は外出中らしい。きっと夕食のための買出しに出ているのだろう、とみどりはおおよそ見当をつけた。きょろきょろ辺りを見回してから、自分もヒビキの寝ている座敷にお邪魔することにする。
「おじゃましまー、す」
 どこかで、ちりんちりんと、自転車のベルが鳴る音がした。近くの学生が通ったのだろうか。みどりは見知った少年の顔を思い浮かべて、ほんのすこしわらった。
 このたちばなという店は、とても居心地がいいところだ。この、柴又という土地も。この陽だまりのようなところを、ヒビキが住処として選ぶ気持ちがみどりにはよくわかる。あたたかい。そしてやさしい。
「日高くんは昔から、こういうとこがすきだったものね」
 ぽつり、とみどりが口にしたその名前に、彼がわずかに身じろぎをした。


(06**** / ヒビキと日高くんのあいだ)