イブキは、なにかとあきらを甘やかしたがる傾向にあるようだった。もともと人懐こい性格ではあるのかもしれない。しかし、それにしたってこの猫可愛がりぶりはどうか、とあきらは自分の身の上ながら思うのである。


「あきら!」
 彼の声はいつも明瞭に、その名前を発音する。だからあきらは自分の名前が嫌いではなかった。彼が好きだと、可愛いねと褒めてくれた名前だから。
 振り返った先には、頭に思い描いていた人物がはにかんでそこに立っていて、あきらはわずかに口元をほころばせる。
「…あきら、」
 やわらかな、しかし確かに弾んだ声で、イブキはあきらを再び呼んだ。そうすることで、目の前にある小さな距離が縮むのだと信じているように。あきらはそれに、軽く頭を下げることで応える。イブキは一瞬困ったような顔をして、しかしあきらが顔をあげるまえにはまたすぐにもとの笑顔に戻った。いとおしくてしかたがないというように、ゆっくりと目を細める。目尻にきゅっ、と小さなしわが寄って、とてもやわらかくなるその表情が、いちばん好きだとあきらは思う。
「近くを通ったから、迎えにきたんだ」
 ああでもよかったちゃんと会えて、とイブキは続ける。息が上がっているという風ではなかったが、あきらをみつけて遠方から走ってきたのは容易に察することができた。
「あの、イブキさん竜巻は」
「近くに停めてあるよ、あきらは目立つのが嫌いだし、あんな大型バイクで中学校の前なんか張ってたら通報されちゃうでしょう」
「……そうですね」
 そう応えたあきらは、しかし内心では十二分に目立っていることをしっかりと自覚していた。身内びいきをなしにしても、彼女の師は矢張り、人目をひく外見であることにはちがいないのだ。周囲の目を気にしてわずかに俯いたあきらに、イブキは小さく「あ、」と呟いた。それは明らかに『しまった、』というニュアンスの「あ、」であり、だからあきらは何事かと身構える。
「もしかして、…迷惑だったかな」
「そんなことないです!」
 彼女の顔をのぞきこむようにしていたイブキは、いきなり顔をあげたあきらに、そしてその気迫に驚いたように目を見開いた。
「…わたしは、こうしてイブキさんが会いに来てくれて、とてもうれしいですから」
 あきらはそう言ってまたうつむき、イブキは彼女の反応をみて何を思ったのか、自分の中でなにか消化するように「そっか、そうだったんだ」と幾度か呟いてから、あきらのあたまをくしゃりとと撫でた。
「たちばなに寄って、お団子食べてから帰ろうね」


(06**** / イブキはあきらを溺愛)