夕暮れの土手を、ゆっくりと歩きながら、他愛のない会話。
「ふうん…おやっさんと、鬼ごっこ」
「あの人、すごい鍛えてますよね、やっぱり」
「まあ、あの人は鬼じゃないけど、でも色々長いからね…人生とか、猛士としてもさ」
 年の功ってやつですかね、と続けてしまってから、
「あ、今のは誰にも言うなよ、少年」
 ヒビキは唇の前に人差し指を立てた。


 『少年』。ヒビキにそう呼ばれる時、明日夢はなんとなく、くすぐったい感情を覚える。それは本来、不特定多数の子供を指す言葉に相違ないのだけれど、ヒビキの中では自分にだけ与えられた特殊な名詞であることを、明日夢はどこかで知っている。
 父が明日夢をどのように呼んでいたのか、明日夢はまるで覚えていない。おそらくは母と同様『明日夢』と呼んでいたのだろうが、明日夢の鼓膜にその声は残っていない。人間の記憶というのは曖昧で、しかも脆い。ましてや明日夢は子供だったし、今なお子供だ。記憶にはいつだって偽りが付きまとう。
 …靄でうすれてしまった、父にまつわる記憶。
(だけど、輪郭がわからないほどじゃない)
 ヒビキが明日夢を『明日夢』と名前で呼ばないことは、明日夢にとってありがたかった。母親の言うことではないけれど、ヒビキは矢張り、自分の父に似ているように思えたからだ。優しい笑顔、慈しみをこめた声で、ヒビキは明日夢を『少年』と呼ぶ。父の記憶は曖昧だけれど、父は明日夢を少年とは呼ばなかった。これはとても、確かなこと。
「どうした、少年」
「…いえ、ちょっとあの、考え事、してました」
「恋の悩み?」
「……はずれです」
 困った顔をして、しかしたしかに明日夢がわらったので、ヒビキは僅かに唇の端をあげた。


(06**** / このふたりは微笑ましい)