「ちょ、始、びしょ濡れじゃないか」
 深夜の白井農場にふらりと姿を現した始は、雨に濡れてびしょびしょになっていた。ぎょっとしながらも剣崎が声を低く保ったのは、もうすでに就寝しているであろう虎太郎と栞のことを思ってのことだ。始の行動はいつだって突飛だ。それは知っている。彼は人間ではないから、人間らしからぬことをするのは当然なのだ。要するにこれは自分が慣れたほうがはやいのだろう、とも剣崎はおもう。だが自らアンデッドとしてでなく人間として生きていくことを望む以上、始にもそれ相応の努力が必要であることは明らかだった。
「傘はどうしたんだ?ていうかさっき訊き損ねたけど、こんな夜中に会いにくるなんて、どうかしたのか?」
「……………」
 剣崎の問いに、始は答える素振りすら見せない。元々答を期待してのことではなかったから、剣崎はあまり気にせず話を続けた。
「電話の相手がお前だってわかって、驚いた」
「…………」
「ほら、いつも俺からの一方通行だろ?なのにいきなり『今から会いに行く、待っていろ』だもんな」
「………」
 始は相変わらずうつむいたまま、微動だにしない。顔を覆うように降りた前髪を、水滴が伝って落下した。剣崎はそれを目で追いながら、遠く車のクラクションが鳴る音をぼんやりと聞いた。頭の中にもやがかかったようだ、と剣崎は思う。しかしそれが眠気によるものか、はたまた始という存在を目の前にしたことで自分に訪れたなんらかの変化であるのかはさっぱりわからなかった。この薄暗い空間で、こいつはどんな表情をしているのだろうか…そんな考えがふわりと浮かび上がって、すぐにはじけてどこかへ消える。
「用件はなんにしろ、上がってくだろ?とりあえず、タオル持ってくるから」
「―…が必要か、剣崎」
「うん?」
「理由が必要か、誰か特定の人間に、無性に会いたくなって仕方がなくなるこの感情に」
 なんの前触れもなく始が顔を上げ、剣崎は一瞬、驚いたようにのけぞった後2・3度ぱちくりと瞬きをした。始の声はどこか怒りを孕んでいたが、剣崎にはその理由がまるで見当もつかなかったからだ。
「ええ、と…」
 口ごもる剣崎に詰め寄るようにして、始は一歩距離を縮めた。床が濡れるからそれ以上動くんじゃない、と。剣崎が開きかけた口を噤んだのは、その大きな瞳に気圧されたからに他ならない。下から見上げてくるその視線は、獣のそれによく似ていた。
 どれほどの沈黙があったろうか。ふいに始が、尋常でない―それこそ人間離れした―力で、剣崎の胸倉をつかむようにした。いきなりのことに対応しきれず、剣崎の長身がおおきく傾ぐ。顔をあげると、こんどは目の前に始の顔があった。ぎりぎりと胸をしめつけられて、息がつまりそうになる。
「俺はお前に会いたいと思ったから会いに来た。それでは足りないと、お前は言うのか?」
「ちょ、始、こきゅ、う苦しいから…」
「自ら望んでやって来たのに、いざお前を目の前にどうしたいのかもわからない俺を、お前は幼稚でどうしようもない奴だと?」
「そんなこと、いってない、し…逆ギレとか、ありえな」

「馬鹿げた話だ。俺はアンデッドで雄なのに、人間の雄であるお前に恋をしている」
 始の言葉に、剣崎は呼吸を忘れた。


(05**** / 相川が剣崎に依存して、剣崎はそれを受容してあげる)