気がつけば、随分と遠くまで来てしまったようだった。知らない街並み。知らない風景。一通り辺りを見回してから、ヘルメットを脱ぎレッドランバスの横に付く。向かい風が頬を刺すようだ。とても寒い。…この寒空の下で、剣崎は今頃どうしているのだろうと思う。死なない、死ねない身体を持つアンデッドである彼は、今の自分のように寒さを感じることもないのだろうか。…寒さも、痛みも、飢えも渇きも。
(いっそ哀しみも感じられぬのであれば、)
 彼は幸せだったにちがいない。彼も、そして残された自分たちも。だがアンデッドが感情を持つことを、皮肉にもあの相川始を見て自分たちは知っている。そして孤独を感じているであろう彼を思って、自分たちは涙を流す。彼の影を追い続ける。
「!」
 ふいに、ポケットの中の携帯が鳴った。素早く相手を確認する…尤も、この番号を知っている人間など限られてはいるのだが。プラスチックが耳に押し付けられる感触。
『今、どこらへん走ってるんですか』
「睦月、用件を明確に言わないか」
 自然と呆れたような声になる。実際に呆れているということはないので、一種のくせのようなものなのかも知れない。ようは自分は、あの青年を甘やかしすぎているということだ。
頭上高くを鳥が飛んでいく。つられるように空を仰いだ。
『あ、いや、俺も今連絡きたばっかなんですけど!なんか白井さんちでパーティーやろうって話らしくて、』
「一体なんのパーティーなんだ」
『俺だって知りません!』
 …なぜ威張る。思わず、唇の端からわらいが洩れる。こんどは確かに、呆れた。睦月にではなく、白井に対してでもなく、ただなにも変わっていないのだと思った…そう、剣崎が欠けているというだけで。
(世界はずっと廻っているのだ、あいつがここにいなくても)
 そのことがひどく残酷なようで、しかし自然なのだろうと思った。小夜子が、桐生さんがいなくなっても、世界はこうして廻り続けていたのだから。
(だが剣崎は、生きている)
(俺とおなじように、生き残ってしまった)
 自分のしていることが正しいのかどうか、はじめてわからなくなった。
『…橘さん?』
「なんだ、」
『ええ、と…それで結局どこらへん走ってるんです?あんまり遠くて来れなさそうなら、たぶん延期になるんですけど』
「……少し、時間がかかるかもしれない」
『あ、じゃあそう言っておきますから!待ってますね!』
 元気な声を後にして、電話は一方的に切られた。


(05**** / 最終話後。橘には大人なりの迷いがありそう)