立春を迎え、長い、長い冬が終わった。まだ幾らか肌寒く感じられるが、風さえなければ 日中はもうだいぶあたたかい。春、はじまりの季節の到来。こ こ、死神統学院にもまた、等しくはじまりが訪れていた。


 明るい講堂内に、同じような装いをした子供ばかりが整列している。その光景は教育施設 としては当然のものと言えたが、何故だか少し滑稽だった。果たしてあの流魂街に、この ような状況はありえただろうか。そう思うとつい自嘲めいた笑みが浮かび、はそれを抑 え込むのに苦労した。
 講堂全体の広さの内、生徒の群れが占める面積ははおよそ六分の一。残された六分の五の空 間は、今はここに来ていない上級生のためのものだった。故に、今この講堂に居るのは新入生のみ。 生徒達の表情は皆、一様に輝いて見えた―…否、皆が皆、という訳で もない。浮かない顔をしている生徒が、少数だが確かにいる。その内の幾人かは臆してい るらしいのが見て取れたが、しかしよくわからない生徒もいた。辺りを一望していたが 目を留めたのは、そんなひとりの男子生徒だ。
 どこか退屈そうにしているその青年は、指 定の制服を、品の悪くない程度に着崩している。かと言って不良ぶっている風でもなく、 楽だからそうしている、そんな雰囲気だ。この年頃の人間にしては(とは言えここでは皆、外見通りの年齢をしている訳ではなかったけれど)どこか擦り切れて見えるのが少 しだけ可笑しかった。色々な人間がいるものだと、が僅かに口許を緩めそうになった、 その瞬間。青年はふとこちらを眼差したかと思うと、ほんの少し驚いたような顔をし て、それから悪戯っぽく、に向けて片目を瞑った。
(…え、)
 咄嗟のことに、は思わず狼狽する。どうやら、不躾に眺めているのを気付かれたらしい かったが、恥じらいよりもまず、この距離で視線を察知されたことへの意外性が勝ってい た。声が声にならなくて、暫しぱくぱくと魚のように口を動かしていると、ふいに場の空 気が変わった。ぴりぴりと張り詰めた空気に気が付いた人間は、おそらくごく少数だ。青 年もまた、その変化に気が付いたらしい。ふたりが姿勢を正したのと、威厳のある老人の 声が講堂内に響いたのが、ほぼ同時のことだった。


 一連の儀が終わり、各自教室へ誘導される道中で、は声を掛けられた。
「見てたね、さっき」
 ちらと背後に目を配れば、そこには知った顔がある。そんなにボクは目立ってた?にい、と口角を上げているのは、件の青年に相違なかった。 先刻垣間見た筈の厭世的な空気はどこへやら、予想外にも親しげに声を掛けられて、は 少し訝しむ。そんなの心を察してか否か、青年はやわらかな調子で続けた。
「ボクはね、京楽という。京楽、春水。第一組だ。察するに君も一組のようだけど…名前を訊いても?」
「…
 ぶっきらぼうに応えたに、しかし京楽は微笑する。どこか諦めにも似たその表情は、あ まりにも大人びていて、だからはぎょっとした。
「いい名前だね。ボクは、好きだよ」
 さらりと言って、また、少しだけ微笑う。流魂街の出身ではないのだなと、なんとなく は思った。東西南北どの地区に属していようと、あそこはこのような人間の育つ環境では なかったから。だから、きっと。
「……"貴族"?」
「両親が死神で、壁の内側の生まれだったら、今時、誰でもそう名乗ってるよ。貴族なんて、外の人が思うほど、大したものじゃあないんだから」
 壁によって隔てられた"内"と"外"。それはここ、死神統学院の存在する瀞霊廷と、流魂街 を指し示した。一般に、瀞霊廷には一部の死神、そして貴族のみが居住を許されている。 この学院の設立以前は、霊力を持った希な者すら、流魂街の人間は近付くことを許されな かった。
「私にはよく分からないけど、そんなものかな」
 そんなものだよ。のんびりと、そう応えた彼の声には、ある種の温度が感じられた。
 ふたりがこうして会話を交わす間にも、生徒の群は止まることなく歩いてゆく。果たして、このまま共に歩いていって良いものか。ふと我に返り、親しい/親しくないのボーダーについては思ったが、結局、逸る歩調を少しだけ緩めることとなった。


(20060510)