彼のような人間を私はそれまで見たことがなかった。あれほど端正な顔立ちの男性を、というのもあったし、どこか世の中にあきらめにも似た、うんざりしている風な感触を覚えているらしいことは一目見てわかったので、私は本能でこの人に関わってはならないと思った。若くして物を悟った人間は、大概ろくなことをしない。私は彼の名前すら知ろうとはしなかった。


「おい、」
 昼食後の図書室。魔法薬学のレポートを書く為に資料の本を探していると、背後から肩を2回、叩かれた。私の心臓は一瞬停止をしてから、すこし遅れてびくりと跳ねた。何故ならその気だるげな声に聴聞き覚えがあり、その持ち主が『例の彼』であることがすぐさまわかってしまったからだ。肩に置かれた大きな手を意識しながら、呼吸をとめてふりかえる。
「これ、あんたの羽根ペンだろ?」
 振り返った先には、私が過去に一度だけ見て、そしてそれから一度もまともに見ようとしなかった端正な顔があった。ふたつ並んだ、黒曜の瞳。射抜くようなその視線に、どういうわけだか「殺される」と思った。私はその顔を見ないようにして、彼の手元に目線を移す。…一本の、羽根ペン。一見するとありふれた品だが、まちがいない、それは私のものだった。先月の末に失くした、私の。だがしかし、どうして彼がこれを持っているのだろうか。そして、どうして私の物だと知って、いや、どうして私を知っているのだろうか(だって私はハッフルパフなのだ、目立ちようもない目立ちたくもない)。
 私はまるで魚ようにぱくぱくと口を動かして、それからぎこちなくあとずさり、本棚に背中を貼り付けるようにした。そんな私の様子を見て、彼は訝しげな表情になる。
「………ちがうのか?そんなことないよな」
「そ、んなの、捨ててしまって。もう、新しいのを買ってしまった」
「捨てる?なんだよ、物は大切にしろよな

それは一瞬、何かの呪文のように聞えた。。頭の中で反芻して、それが自分の名であることに思い当たるや、私ははっと息を呑む。動揺してどうするというのか。そもそもどうして、動揺するのか。息苦しさに耐えかねて、途切れ途切れに声を発した。
「ど、うして、私を知っているの?」
「どうしてって、そりゃあお前は同学年だし、校内で東洋人…しかもジャパニーズなんて珍しいからだ。そいつはそこの廊下で拾って、お前の物だとわかったのは授業中お前がそれを指でまわすの見てたから」
「同じ条件下で、私は貴方を知らない。貴方の羽根ペンも、授業中の癖も」
「じゃあ教えてやる、俺は…」
「言わなくて結構!」
 私がそう大きく叫ぶと、彼の目が見開かれた。その隙にくるりと私は踵をかえし、思い切り床を蹴る。『あ、おい!』という彼の声と、通りかかったマダム注意が耳に飛び込んできた。『ブラック、図書室では静かになさい!』駆けながら、心にその名前を刻む。そうか、あれが…シリウス=ブラック。名前だけなら知っている。成る程と呟きながら、治まる事を知らぬ鼓動を心底恨めしく思った。 やはりあいつと関わるべきではなかったのだ。これはきっと、何かの病気に違いない。


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